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元祖天災ゴジラ、50年遅れのアメリカ来襲

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ニューヨークのフィルム・フォーラムで、オリジナル版「ゴジラ」を観た(上映期間:2004年5月7日〜20日)。

昭和29年(1954年)の初登場以来、怪獣ゴジラはその時々の時代背景に合せて、シリーズ化され、様々な存在として描かれてきた。ある時は驚異の破壊獣、またある時は正義の味方、そしてまたある時はアイドル(ペット)として、等々。人気者は忙しい。

当然だが、ゴジラという怪獣が日本に現われなければならない必然性(動機)をもっとも強く感じさせるのは、第1作目である。敗戦後9年、被爆国(ヒロシマ、ナガサキ)としての傷がいまだ癒えぬ時代背景と米ソ核実験競争(第五福竜丸の被爆)に見る原子力時代の到来といったリアルなテーマ性から生まれたのだ。

ポップイメージとしてのゴジラは、アメリカ人にも1956年のハリウッド版の公開で既に馴染みのあるものになっていた。だがこのアメリカ人観客のために再編集されたハリウッド版は、元祖日本のオリジナル版とは大いに異なる作品内容になっている。

「弁護士ペリーメーソン」や「警部アイアンサイド」というテレビシリーズで日本でも人気のあった俳優レイモンド・バー扮するジャーナリストの場面がオリジナル版にカット、挿入され、アメリカ人観客のためにナレーターの役を務める仕組みになっている。

かなり無茶苦茶なカット、挿入をしているためレイモンド・バーのセリフと日本人俳優たちのセリフが力いっぱい噛み合わなかったりしている。日本語を解さないアメリカ人観客はその異様さに気づくこともない。

作品のメインテーマである原爆や戦争へのメタファーは隠蔽され、ゴジラは前近代的(迷信や神話)な国、日本に現れた原始の巨大トカゲという訳だ。

元祖オリジナル版「ゴジラ」のファンとしてはハリウッド版「ゴジラ」は見るに耐えないものだった。よくもまぁ今日まで50年間も野放しになっていたもんだと感心してしまう。

原作者や映画監督はどんな気持ちでいたのだろうか? オリジナル版とハリウッド版は「全く別の映画」ということで納得していたのだろうか? 何につけても自分の作品がかようなまでにズタズタにされては、決して気持ちの良いものではなかったろう。身売りをしたような感じだったのではなかろうか? 戦後間もない時代で、アメリカさんののすることには抗議できないような雰囲気があったのかもしれない。悲しいかなその雰囲気は、21世紀になった今もあまり変わっていないようだが。

ビデオ版にはないシーンも登場

元祖「ゴジラ」はビデオで何度も観ているが、劇場で観たのは今回が初めてだった。家の小さなテレビ画面で観るよりも、劇場の大きなスクリーンで他の観客といっしょに「暗い部屋」の中で観るのは、観客の反応なども判って面白い。平日の午後の回だったが、6割方の入りだった。中年が少々と後は若い観客層だった。

収穫だったのは、今回は完全ノーカット版だったので、ビデオにはなかったシーンも含まれていたこと。それら2、3のシーンが全体的に暗い雰囲気の作品に、コミカルな味付けを加えていた。コミカルに抜ける部分がなければ、この作品、耐えがたいぐらい、夢も希望もない作品になっていただろう。

CGが発達した最近の作品と比較して、縫いぐるみゴジラ、おもちゃの船、戦車、そして模型の東京の街を今観れば、それだけで観客の笑いを誘う場面もある。だが全体を被う暗くて重苦しい雰囲気と、反戦のテーマ、大量殺戮兵器への恐怖など、この映画の人間ドラマとしての質の高さは、現在の観客にも充分に伝わり得るものだった。エンディングクレッジットでは観客から自然と拍手が湧いた。

凶暴この上ないゴジラだったが、そのよちよち歩きの姿には公開当時ですら何か憎めない「愛らしさ」を感じてしまうところがあったはずだ。だからこそゴジラは回を重ねるごとに人気者になって行ったんだろう。

50年経って、やっとアメリカで陽の目を見ることになったオリジナル版「ゴジラ」。まずはめでたしめでたし。しかし、この50年という長い年月に、日本が世界の経済大国になりながらも、ほとんど世界からどのように見られているのかということに、無意識、無関心であったかが集約されている例であるように思える。

ゴジラは日本人の戦争体験(被害者としてだけではあるが)や原爆体験を大衆文化の中で表現してみせた記念すべき作品である。東宝さん、自分の会社が作った作品に自信と誇りを持って、多国語字幕付きのオリジナル版ゴジラのDVDを早く発売してださいよ。(byリキ)

09.11.04


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