カール・秋谷一郎
歴史の激動を生きた日系米人。
公民権運動家、マーティン・ルーサー・キング賞受賞者
若かりし日、ハンサムだった頃の彼。もてた。

カール・秋谷一郎はファイターだった。

サンフランシスコで生まれ、日本で教育を受け、大平洋戦争前にアメリカに戻った彼は、20世紀の日米関係史のシンボルとして劇的で時に矛盾した役割を演じて生きた。経済的に困窮した人々、あるいはなんらかの違いによって差別される人々に対していつも心を砕く彼は、キリスト教徒(メソジスト派)であり、同時に社会主義者でもあった。

1930年代初期の神戸で秋谷は日本による中国への軍事的侵攻に対して歯にきぬきせぬ抗議を口にした。真珠湾攻撃後は、大平洋での大日本帝国の侵略に対して以前から明白な反対の立場を公言していたため、アメリカ政府から日系米人強制収容の例外的適用外とされた5人のひとりとされた。だが、彼は、日系米人コミュニティの権利への連帯感から自ら進んで強制キャンプの囚人となり、ユタ州トパズのキャンプでの暮しを彼はスケッチやメモで記録した。バイリンガルだった彼はまもなくアメリカ政府の司令で、ミシガン州アナーバーで陸軍情報言語学校でGI相手に日本語を教えることになった。

戦後ニューヨークに移った彼は、イタリア/アイルランド系労働組合の組合組織者になった後、日系米人向けの新聞「the New York Hokubei Shimpo」 (1963に「ニューヨーク日米新聞」と改称)でジャーナリストとして働いた。その後1954年には、東京銀行に就職し、ヨーコ・オノの父親の直属の部下として働くようになった。
告別式に飾られた写真
第2次大戦以前から続けてきた活動の一環として、彼は西海岸の日系米人が戦時中、無差別に中部の州のキャンプに強制移住させられたことによる被害補償を求め、連邦議会の下院補償委員会で証言をおこなった。さらに、日系米人に限らず他の多くのエスニックや人種のグループがさまざまな問題に対処するため組織作りをする時のアドバイザー役を演じ続けた。こうした活動を認められ、1987年に彼はニューヨーク州からマーティン・ルーサー・キング・コミュニティ組織化賞を授与された。

カール秋谷一郎は2001年2月8日、91年の生涯を閉じた。著書に、1915年から1932年までの日本での出来事をつづった『自由への道 太平洋を越えて―ある帰米二世の自伝』(行路社/1996年)がある。

関連文献:
  • プロフィール:カール秋谷一郎
  • カール・一郎・秋谷:『自由への道 太平洋を越えて―ある帰米二世の自伝』(行路社/1996年)
  • Sandra Taylor: "Jewel of the Desert: Japanese American Internment at Topaz" (1993: University of California Press)
  • 秋谷一郎:書評/ルイス・アダミック著「日本人の顔をした若いアメリカ人(A Young American With A Japanese Face) 」(モThe New York Nichibei メ 1990年6月7日)
  • http://www.synapse.ne.jp/saitani/nihonjinshohyou.htm