女性映画人が大量発生中の
韓国映画界


「シュリ」(1999年)や「猟奇的な彼女」(2001年)がアジア各国で大ヒットを記録し、今年のベルリン国際映画祭ではキム・キドク監督の「サマリア」が銀熊賞を受賞するなど世界的に注目されている韓国映画界だが、ここ数年、女性監督たちが大勢誕生し、世界でも有数の「女性監督大国」になっている。

2001年から2003年に韓国内の映画館で公開された女性監督作品(劇映画)は7本。今年もすでにキム・ウンスクの「氷雨」、パク・キョンヒの「微笑」の2作が公開され、さらに2人の女性監督の作品が公開予定である。

数だけの問題ではない。女性監督の作品というと日本ではドキュメンタリーかアートフィルムに限られる印象が強いが、彼女たちの作品はバラエティ豊かだ。

ジョン・ジェウンの「子猫をお願い」(2001年、今年6月日本公開予定)は、商業高校出身の5人の女の子たちが夢と現実の狭間で鬱屈した心を抱えて徘徊する姿をオフビートな映像で表現。

パク・チャノク監督の「嫉妬は我が力」(2003年)は恋人を奪った年長の男に微妙な友情を感じる青年を主人公に、男性独特の心理を描く。

元従軍慰安婦のドキュメンタリー映画で知られるビョン・ヨンジュは"社会派監督"のイメージを壊すかのように、初の劇映画「密愛」(2002年)で不倫に走るヒロインを濃厚な官能シーンと共に描いた。

70年生まれのイ・スヨン監督はデビュー作「4人の食卓」に「猟奇的彼女」のヒロイン役でアジア各国でも人気の高いチョン・ジヒョンを起用した心理サスペンスに挑戦するーーといった具合で、女性監督に期待されがちな「女性性」は必ずしも謳わず、多種多様な作品が作られている。

韓国映画界は男女平等な世界?

映画監督業界は男性優位の世界だ。商業映画で活躍する女性監督はどこの国でも非常に少ない。しかも韓国といえば、儒教的なモラルが厳しく、男尊女卑のイメージのある国ではないか。それなのになぜ、韓国でこれほど女性監督が活躍しているのか。

こんな疑問を以前、韓国の女性監督ジョン・ジェウンとイ・ミヨン(2002年「バス、停留所」)にぶつけてみたところ、「だって、映画界は韓国の中で最も男女平等な社会だから」という答えが2人から返ってきた。韓国社会には、日本などと同じように男女差別がいろいろある。しかし映画の世界は例外的に男女平等なのだという。映画界=男女差別の残る旧弊な世界というイメージがある私にとって、それは全く意表をつく答えだった。

もっとも韓国映画界も、少し前までは男女差別の残る旧弊な世界だったらしい。「美術館の隣の動物園」(98年)をヒットさせ、現在の韓国女性監督ブームの先陣を切ったイ・ジャンヒョンが身を投じた80年代後半の韓国の映画界は徒弟制度が強固で、女性への差別意識も強く、女性が監督になるのは非常に困難だったという。彼女は10年間助監督を務めたが監督になれず、「美術館・・・」で青龍賞シナリオ公募大賞を受賞したことで、ようやく監督デビューを果たした。

ちなみに韓国初の女性監督は1954年に「未亡人」でデビューしたパク・ナムオクで、イ・ジャンヒョンは彼女から数えて9人目の女性監督にあたる。40数年の間に9人の女性監督が誕生したわけだ。

ところがこの後、大きな変化が起きた。2001年から2004年の4年間にデビューまたはデビュー予定の女性監督は9人。4年間で過去40数年に誕生した女性監督の人数と並んだのである。この突然の女性監督躍進の原因は何だったのか。

90年代に劇的に変化した韓国映画界

実は韓国映画界では、90年代半ば頃から劇的な変化が起きているのである。それまで映画製作は企画から資金調達まで監督の力に負うところが大きかったが、90年代半ばになると資金調達のシステムが確立し、また映画会社がマーケティング・広報に力を入れるようになった。合理的なシステムが映画界に導入されたのである。その変化の立役者とされるのが386世代だ。
 
386世代とは60年代生まれ、80年代に大学生活を送った30代の韓国人たち(最近は40代に突入しつつあるが)のことを指す。政治経済文化と幅広い分野で今、韓国社会に大きな影響を与えて続けている世代だ。

386世代は90年代に次々と自らの映画製作会社を設立し、合理的システムによる映画製作を始めた。特に彼らが力を入れたのが若く才能のある人材を映画に積極的に登用することだった。こうして急速に旧来の徒弟制度が崩れ、映画界のシステムがフラットになった。
活躍する映画監督のほとんどは386世代か、それ以下の世代となり、また監督以外の映画スタッフのほとんども386世代以下となった(このため最近は逆に「ベテラン差別」が問題にもなっている)。

こうして映画界の組織が民主的(?)に変化し、人材が若返った中、自然と女性監督たちが誕生し始め、90年代後半からの韓国映画の大発展が始まったのである。女性監督作品でヒットしたのは今のところ、イ・ジャンヒョンの「美術館の隣の動物園」と「おばあちゃんの家」だけだが、チョン・ジェウン、パク・チャノク、イ・スヨンなど注目作、話題作を生み出す女性監督は何人もいて、韓国映画作品の幅を広げる大きな役割を果たしている。
386世代の女性が映画界を変えた

一連の変化の中で、見逃せないのは映画界における386世代の女性たちの活躍ぶりだ。面白いことに386世代の製作会社では、女性が代表やプロデューサーを務めている組織が多い。

中でも有名なのが韓国映画の興行成績を塗り替えた「JSA」のプロデュースをした「ミョン・フィルム」の代表シム・ジェミン(映画監督でもある夫と会社を設立)、「ガソリンスタンド襲撃事件」を手がけた「いい映画」代表のキム・ミヒ、そして「反則王」を制作した「ポム(春)」代表のオ・ジョンワンの3人だ。

彼女たちは共に80年代に大学卒業後、映画会社の広報・マーケティング部門でキャリアをスタートさせている。当時はあまり重視されていなかった部署だ。ここで、彼女たちはマーケティングや企画、宣伝がいかに重要であるかを明らかにした。彼女たちの活躍で、「シュリ」「JSA」「猟奇的な彼女」「チング」といった大ヒット映画が続々誕生しはじめた。

大ヒット作が次々と生まれる中、広報・マーケティング部門は興行成績に大きな影響をもつ重要部署となり、そこを仕切る女性たちは映画界で大きな力と権限を持つようになった。広報・マーケティング部門は現在9割を女性が占める圧倒的「女性上位」の部署となり、ここからプロデューサーへ転身していく女性も多い。

このように、80年代に映画界に入った386世代の女性たちが着実に実力をつけ、力を手にしたことが、女性監督(こちらも386世代が中心)たちの登場をより容易にしたのは想像に難くない。実際、女性監督作品のうち「ワイキキブラザーズ」「バス、停留所」はミョンフィルムが、「密愛」は「いい映画社」が、「4人の食卓」はポムが制作し、「嫉妬は我が力」もミョンフィルムが共同プロデュースしている。

監督だけでなく、これまで女性がいなかった技術分野にも女性たちは次々と足を踏み入れている。99年には「恋風恋歌」でキム・ユンヒが韓国初の女性撮影監督としてデビューし、「ロストメモリーズ」ではナム・ジンアが女性初の照明担当になった。

女性スタッフの増加を受け、2000年には映画業界で働く女性たちの法人組織「女性映画人の会」が発足した。その会員はすでに500人を超えている。世界の映画界の中でも最も女性進出が進んでいるといってもよいだろう。
こうした変化の中で私が興味をかき立てられるのは、386世代の男性たちの意識だ。組織の合理化、フラット化は必ずしも男女平等と結びつくわけではない。男女差別意識の強い国では「男だけの組織の合理化」が進む場合だってある。

韓国映画界が「男女平等」な状態になったのは、386世代の男たちがそれ以前の韓国男たちと違って、女性に対して差別意識が薄く、女性の参入に抵抗がなかったのか、あるいは386世代の女たちがパワフルで、気がつけば有無をいわさぬ勢いで女性の進出が進んでいたのか。ぜひともこの世代の男性たちにきいてみたいものだ。(by原 智子)

イ・スヨン監督のデビュー作
「4人の食卓」
「密愛」の監督ビョン・ヨンジュ
photo: Tomoko Hara
ジョン・ジェウン監督「子猫をお願い」。copyright: Cinema Service
「子猫をお願い」のジョン・ジェウン監督。photo: Tomoko Hara
「ポム」製作の「スキャンダル」
韓国の映画館 photo: Tomoko Hara