「文化�日」批判
NY-ト�キョー行きがかりエ�ー

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ニューヨークを生活のベ�スに、日本とアメリカを行き来する生活を送って�。二つの異なる言語��圏を往復するのには、思いのほかに開放感が伴な�のなので、���とてもラ�ー�と感じて��

�言え�、一つの言語空間だけに生きる�は随�キ�ことのように思える。風通しの悪��口無し�状態、�方塞がりに陥ることが容易に想像できるから�。そんな時、他�言語空間に�込めるのは、僕のような立�の強みと�るだろう�

たまたま先月の初めに日本に�時も、僕の行動�は実家のある横浜と東京に限られて�が、時間を置�眺めるそれら�街�風景は新鮮で���僕�眼には�る���

�の日」なんて日本の恥

今回の日本滞在では「文化�日」に行き当たった。テレビ�ニュースでは�勲�受賞��「お目通り」�様子が写し出されて�。僕は妙な��の悪さに襲われた。もともと11月3日は明治節��治天��誕生日�で、戦後になって「文化�日」と名前が変わり、国民�ための祝日になったわけである�

�けど�てみれ�「文化」を特別に祝う日がなくち�らな�んて、�ヌケな話である。それこそ文化意識が国民に根付いて��とを�ら認め、宣伝して�ようなも��。戦後�もなくならいざ知らず、半世紀経っても未�「文化�日」なるものが存在しなくち�らな�由がある��ろうか�
あるとしたら、それ�むしろ日本の恥と思うべきなんじ�����

�勲���1937年制定)�まぁ、し�な�しても、わざわざ祝日にする��な�しょ� �勲�なんて普通�日�平日�に授与すれ��の�。そ�いませヌ� 
国民�ために「文化�日」と称して祝日としその晴れ�台で�勲�などと�国家の御墨付きの代物を権威化することは、よりいっそう�の中�、独�化に繋がるから百害あって一利なしである。日本で草�根�化活動が根付かな��の一つをここに見てしま���、僕は�

日本のクリエーターは搾取されて�

全般�日本ではクリエーターと呼ばれる人たちの地位が低いのも、このような権威シス�の弊害と無関係ではな�ろう。例えば世界中であれ�け�人気と高い評価を受け、日本の輸出産業として莫大な利益をあげて�日本のアニメ。その立て役�るアニメーターがどんなに過�な状況で仕事をして�かが、海外�アニメファンの間で逸話になって�ぐら��

アニメーションと�メ�アに並�らぬ愛情を持って�人にしか続けられな�損得度外視�愛�労働で成り立って�世界なの�。だからこそ良�品が生まれるともいえる�ろうが、そんな見返りのな�態で�までも高いレベルの仕事が続けられるわけがな��

アニメーター�けでなく、ライター、デザイナ�と�た��底辺�また�外部�で知�働を�て�人たちがもっと金銭�も優�れるべきだろう。何故日本ではこ�手�労働が搾取されるの�ろうか。個人の生産性がもっとも重視されるべき時代�と�のに・・・�

国家の御墨付き�お家芸�以外�場所でも数多くの面白�化的な出来事、活動が営まれて�わけ�が、何せそれらを育てる土壌ができて��それらを援助する私設基金があるわけでもなく、ある�はせいぜいひも付きの特殊法人�天下り天国�止まりだ。これでは�勲�ひとつ取っても単なる文化国家のアリバイ作り以上�も�ではな�言われてしま�ろう�

行きがかり提�

そこで提案なの�が、宗教法人から税を取って、それを�振興基金としてNGOが運用すると�のはど�ろう。日本の�は�、宗教によって形作られて来たと�歴史がある。だから�のための税と�ことなら�、宗教法人も納得する�ではな�ろうか。税と�名前が嫌なら、援助金と呼んでもい��

�は人と人を繋ぐコミュニケーションのスタイルである。それが無味乾燥になれ�、その中で生きる人間関係も同じ運命。だからそろそろ社会的意識�高い宗教家にも一肌脱�もらって、文化振興�インフラをもち�と構�改革しち�� (リキ��

関連サイ�

http://www8.cao.go.jp/intro/kunsho/