チョ�スキーがサダ�・フセイン拘束�に書�記�

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ノ��・チョ�スキーがサダ�・フセイン拘束後、カナダの新聞「トロント�スター」紙に�た記事をざっと日本語に訳してみました。ちなみに、文中のハリバ�トン社はチェイニ�副大統領が�高経営責任�った会社、�ク�社はレーガン政権時代国務長官だったジョージ・シュル�役員を勤める会社で�れも共和�に近い。�ク�は�2月�6日現在、イラク復興事業の��気、水道、空港、港湾など�0億ドル以上�契�得て�。ハリバ�トンは�月下旬、米陸軍から油田の消火・復旧事業を受注した。12月�6日付けの「サンフランシスコ・クロニクル」紙によるとイラク復興事業の入札に招�れて�企業はほとんどが米政府と強�ながりをもつ企業。なーんか�骨。ま、読んでみて。�by宵っぱり�


独裁��我�
by ノ��・チョ�スキー
2003年12�21日

人権、正義、�さに関�持つすべての人��、サダ�・フセインの拘束を喜び、国際法廷による公正な裁判を�望んで�に違いな��

サダ�の残虐行為への告発の中には�988年のクルド人に対する虐殺と毒ガス攻��もちろん�991年にサダ�打倒をもくろん�シーア派反体制派大量虐殺も当然含まれることになるだろう�

当時、アメリカ合�とそ�同盟国は、ニューヨーク・タイ�ズ紙�アラン・カウエルが�じたように、「サダ�・フセインの罪がいかにひどくても、彼はイラク安定への可能性を�ー彼の圧制に苦しん�人�もたらしえた以上�可能性を�ー西側と中東地域にもたらした、と�驚くほど満場一致の見解をもって�」もの��

昨年�2月、英国のジャ�・ストロー外務大臣はサダ�の犯罪の関係書類を公表したが、そのほとんどがアメリカと英国がサダ�を強力に支援して�時期のも��った�

倫��を�もながら�するストローの報告とそれに対するワシントンの反応�中に、サダ�への支援に関する言及�見られな��

こうした�口は一般に知�化に深く�づ��を反�して�。2�年ごとにアメリカでひっぱり�される�路変更の教義と呼ばれる�である。その教義の�はこう�。「そ����過去に、無知と手違��せいで�つか�間違�犯した。だが、それ�、すべて終わったこと�。だから、も�んな退屈で陳腐なことで時間の無��するのは止めにしよ��

こ�教義は不正直で�なも��が、利点もある。���目前で起きて�ことを理解すると�危険から我�守ってくれる��から�

例えば、ブ�ュ政権のイラク戦争開始�最初��は、大量�壊�器を開発しテロ�を支援する専制君主から世界を守ると�も��った。だがいまではそんな�を信じる人なんてひとりも��ブ�ュの演説草稿ライターでさえも�

我�イラクに侵攻した新しい�は、イラクに民主主義を打ち立て、��は中東全部を民主化すること�そう��

時折、民主主義を打ち立てると�こ�ポ�ズのくり返しは熱狂的な喝采の域に達する�

たとえ�先月、ワシントン・ポスト紙�論説家��・イグナチウスはイラク侵攻を「もっぱらイラクとそ�地域に民主主義をもたらすこと�け�ために遂行された、近代におけるもっとも理想主義�戦争」と称した。イグナチウスは特に、「ブ�ュ政権最高位��主義��ール・ウォルフォウィ�に感銘を受けており、ウォルフォウィ�を(アラブ世界の�圧制のために血を流し、その解放を夢見る本物の知識人と評する�

おそらく、これ�ウォルフォウィ�の経歴を説明する�に役立ちそう�。なにしろ、ウォルフォウィ�はロナルド�レーガン政権下、インドネシア大使�った時に、前世紀最悪の大量殺人�して侵略�ったスハルト�強力な支持�った��から�

レーガン政権下、国務省の東アジア�国務次官補としてウォルフォウィ�は韓国の全斗�とフィリピンのマルコスと�殺人�裁�援の責任�った���

こうしたことすべてが、御都合主義�進路変更教義のために場違いなも�になった�

そう、ウォルフォウィ�は圧制の�牲�ちのために血を流して�の�。そしてもし、記録がそれとは反対のことを示して�としたら、それ�人�忘れ去るべき退屈な昔話に過ぎな��

我��ウォルフォウィ�の民主主義への愛情を示すも��とつの最近�実例を思い起こすこともできる。トルコ議会�イラク戦争への国民�ほぼ全員一致の反対を留意して米軍�トルコからの全面展開を拒否した。これがワシントンを激怒をさせた�である�

ウォルフォウィ�は議会決定をくつがえすべく介�しなかったとしてトルコ軍を非難した。トルコが国民�声に耳を貸し、テキサスのクロフォードやワシントンの命令に従わなかったからだ�

最新の見せ場は、イラクでの潤沢な再建契�の入札に関するウォルフォウィ�の「決断と所見」だ。政府が国民�大半と同じ意見にたった国は入札から排除された�である�

ウォルフォウィ�の立�は、「安�保障の見地」と�れるが、そんなも�は存在しな��、ハリバ�トン社とベク�社が主要産業社会とではなくウズベキスタンとソロモン群島の活気に満ちた民主主義と自由に「競�ことになる事実と共に、民主主義への露骨な憎悪は見�がしようもな��

�にとって明らかで重要なことは民主主義に対するワシントンの軽蔑�表示が、民主主義への憧れへの異口同音の追従と同時並行して起きたこと�。このふたつを両立させることはなかなかた�んな業�わざ)で、�体主義�国家でさえ、このようなマネは困難��

イラク人には征服�被征服�のこ�過程に関する洞察力がある�

英国は自�ちの利益�ためにイラクを創った。英国は世界の中のこ�地域を支配するにあたり、「アラブ�正面��ファサード)」をどのようにしつらえようかと論議した答えは、こ�ーーぜい弱で融通�きく政府、可能なら�議会制、た�し、英国が効果的に統治可能な限りにおいて�

アメリカ合�が独立したイラク政府�存在を許可するなどと誰が期�るだろう。特に�はワシントンが世界最大の石油産出地帯のまっただ中に永続的軍事基地設置権を保有して�の�から。そして、イラクの運命を西側諸国の手に�ね、どんな君主国も受け�れな��経済制度を押し付けて�時に�

歴史をとおしてみると、どんなに過�で恥ずべきやり口も、気高い意図の宣言、そして自由と独立�授与と�レトリ�を通常伴って�も���

ち�と目をこらせば、トマス・ジェファーソンの当時の世界�への観察が��に通用して�ことがわかる�ろう。「ナポレオンが、海洋�自由のため�けに戦って�とは、���信じな�大英帝国が人類�自由のために戦って�などと�ことも。目��、いずれも同じ。権力と富、そして他国の�を手に�ることなの��

初��The Tronto Star
http://www.alternet.org/story.html?StoryID=17435