映画レビュー「Elephant(エレファント)」

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ガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」は、1999年にコロラド州のコロンバイン高校で起きた、2人の生徒による無差別乱射殺人事件を題材にした劇映画である。13人の死者と負傷者を出したこの事件については、日本でも大ヒットしたマイケル・ムーアのドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」でも扱われていたので、知る人も多いだろう。

劇映画だと書いたが、いわゆるハリウッド映画的な意味での劇映画でない。なぜならこの映画には、事件や登場人物の内省的なドラマタイゼーション(脚色)がほとんどないからである。

映画はどこにでもあるような郊外の風景に始まる。舞台となる高校の空間が、主だった生徒たちひとりひとりの行動をカメラが淡々と追うことで紹介されていく。その間、各生徒たちの名前がキャプションで示されるが、生徒たちの行動や会話はどこにでもある典型的なもので、一つの繋がりのある物語を形成するためのものではない。

しかし見ている観客は、すでに最後に何が起こるかを知っているから、ある種の緊張感を画面から読み取らざるを得ない。僕もホラー映画を見るより怖く、それらの "どこにでもありそう" な風景を眺めていた。

映画は事件が起きるせいぜい1時間以内の生徒たちの行動をひとりひとり、時間軸と空間軸を交差させて描いている。犯人の2人の生徒についても、特別に多く語られているわけではなく、起きたことを起きたままに再現しただけの映画だといえるだろう。

個々の場面の細部から、このような事件が起こった理由を推理したり、分析や解釈、ましてや理解しようと努力すると、結局、無駄骨に終わるだろう。どれを取っても充分な説明には至らないことを思い知らされるだけだからだ。

初めに書いたように「エレファント」はドラマを順序立てて説明する一般的な映画ではない。意味がわかるようにさせるという、いわゆる "自然な" (一般化した) 映画作りを逸脱しているのである。

最後の無慈悲な殺戮場面は背筋が凍るほどショッキングであった。そのショックはこの映画が結局 "事実はドラマ化できない" という当たり前の真実を大胆に実践(ドラマ化)したことによって、より強力なものになったといえるだろう。

それにしても「エレファント(象)」というこの映画の題名は、どんな象徴的な意味を持っているのだろうか。(リキ)