タランティーノの新作「Kill Bill」を見て

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タランティーノの第4作目「キル・ビル」は復讐の話。今回はその前編。暗殺団の元メンバーだった主人公は、結婚式の日に元愛人であるボスと元仲間4人に襲われる。夫をはじめ参列者全員が殺され、彼女だけが助かる。そして、ヒロインがその5人に次々と復讐していくという、欧米や日本にもよくあるストーリーだ。後編は2004年2月公開とのこと、私は紙芝居の続きを待つ子供のように楽しみにしている。

この映画は、映画狂タランティーノが敬愛する深作欽二をはじめとするほかの映画監督の作品の部分をつなぎ合わせたものだが、パロディというよりコラージュと言う表現がぴったりする。シーンはもちろんのこと、人物の名前や外観、建物から立ち回りに渡ってほかの映画のシーンだらけだ。

たとえば、藤田敏八監督の「修羅雪姫」のシーンと登場人物。「影の軍団」からは俳優がその人物と同名で登場し、殺し屋女性は70年代の復讐映画のヒロインたちが原型で、上空からの東京の眺めは東宝のゴジラ映画のミニチュアセットを使用などなど。その出所となった映画を全部言い当てられたら、タランティーノに劣らない映画フリークと言えるだろう。

けれども、別映画の断片をこれでもかというくらい集めた作品なのに、隅々までタランティーノ一色なのは、好きな日本、香港、ヨーロッパ映画を自分の中に完全に吸収消化しているからではないだろうか。この映画を見て、ウィリアム・バロウズのカットアップ・メソッドを思い出した。ほかの作家のページを切り取り、また別の作家のページとつなぎ合わせて文章を作りだすというカットアップだ。ある作家から「単なる配管工事だ」とバカにされたが、それは単に、様々な作家の文章を切り貼りしただけのものでなく、用意周到にバロウズ独自の世界として創りだされたものなのだ。「キル・ビル」作りはまさにその作法に重なる。

それは、言い換えれば、これは、タランティーノが映画作りの醍醐味を自身で思う存分楽しんだ映画だとおもう。同時期に見た「ロスト・イン・トランスレーション」で描かれた東京に違和感を感じなかったように、現実にかかわりなく描かれたタランティーノの東京にも違和感を感じなかった。絵空事とわかっているのに引き込まれる漫画のようなノリで、私もじゅうぶん楽しんだ。

そして、この映画に2つのヴァージョンがあることを知った私は2度見ることに。何が、どこが違うのか。1カ月の間をおいて、ニューヨークと日本で、欧米版とアジア版を見比べた結果、アジア版のほうにスクリーンにふんだんに繰り広げられる血みどろのシーン一つ一つにだめ押しがかかっていた、という印象を受けた。映画のプログラムで、血の色合いが違うことを知ったが、2つを同時並行で見比べないかぎり、その差異はわからないだろう。あとは、表示が間違っていなければ、欧米版110分、アジア版113分と上映時間に3分の差があるが、これが双方の観客の見る血量の差だ。

アジア版がオリジナルで、欧米版が血のインパクトを弱くしたバージョンだが、さほど違いがないのに、それでもその差を付けなければならない事情とは、いったい何なのだろう。機会を見つけて、世界中の映画に表現された血の量および演出の違いで、それぞれの国の文化を語る、なんていう討論会をしたらどうだろうか。(YUME)