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物語アート  〜アメリカ現代美術という物語〜

Text by: トシダミツオ



番外編:一番はじめの物語



 ニューヨーク・シティから車でハドソン川沿いを2時間ほど北上する。出口21を降り、鉄橋を渡ると小高い丘の頂きに奇妙なペルシャ風の大邸宅が目に入る。1987 年の夏、近くのジャーマンタウンで仲間たちと夏を過ごしていた僕は、その建物がある丘に行ってみることにした。ルート9Gからの入口にはオラーナという小さな標識が立っていた。そこを入り、鬱蒼とした林道を5分も登ると、遠目から見た建物が目の前に現われる。

Frederic Church
Heart of the Andes, 1859
Oil on canvas, 66 -1/8 x 119-1/4 in.

 ニューヨーク・シティから車でハドソン川沿いを2時間ほど北上する。出口21を降り、鉄橋を渡ると小高い丘の頂きに奇妙なペルシャ風の大邸宅が目に入る。1987 年の夏、近くのジャーマンタウンで仲間たちと夏を過ごしていた僕は、その建物がある丘に行ってみることにした。ルート9Gからの入口にはオラーナという小さな標識が立っていた。そこを入り、鬱蒼とした林道を5分も登ると、遠目から見た建物が目の前に現われる。


 色違いの石を組み合わせたモザイク状の壁、アーチ型の窓、シンボリックにそびえる鐘塔。いったいこのペルシャ風の建物はいったい何なんだろう。駐車場の完備から旧所名跡の一つだろうとは想像したが、メトロポリタン美術館で見た "Heart of the Andes" を描いた画家、フレドリック・エドウィン・チャーチの邸宅であったと判り驚いた。驚きはそれだけではない。邸宅の正面テラス側に廻わると、今でも息を飲むようなハドソン川沿いの風景が眼下に拡がる。まさにフレデリック・チャーチの絵のような崇高な自然のパノラマがそこに拡がっていた。



パラダイス幻想

 フレデリック・チャーチはハドソン・リバー・スクールというアメリカ最初の風景画家グループに属した画家の一人だ。ハドソン・リバー・スクールという名はハドソン川沿いの風景やキャッツキル山脈の未開の自然を対象に描いたことからそう呼ばれるようになったのだという。新しい「エデンの園」として未開のアメリカ風景をロマンチックに、そしてドラマチックに描いた(宗教画的スタイルを残した)画家トーマス・コールを先駆者に1825 年から1875年にかけて全盛期であった。


 これらの画家たちはハドソン川上流にスケッチ旅行に出かけ、そのスケッチをもとにニューヨークシティ5番街西10丁目のスタジオで油彩によるタブローの制作に励んだ。もともと都市生活者である画家たちが無垢の自然を求めて北上する小探検旅行を行ったわけだ。ハドソン・リバー・スクール以前のアメリカ絵画をみると、政治家の英雄伝説をモチーフにしたものや、当時起こった事件をモチーフにした記録絵画的なものが多い。それらをヨーロッパの絵描きに発注したり、移民の職人労働者が片手間に制作したりもしたようだ。


 ハドソン・リバー・スクールの画家たちの登場は、ヨーロッパに対する文化的劣等感とその影響を超克し、アメリカ独自の文化的アイデンティティを創造する試みとして同時代の文学者ワシントン・アーヴィングやジェームス・フィニモア・パーカーなどから熱狂的に支持されたということだ。純粋な人間性と自然との融合を最高の道徳性と考えるその時代の思想(エマーソン)はハドソン・リバー・スクールの画家たちの風景画にその具現化をみた。それはアメリカという新しい国のアイデンティティに根源的なイメージを与え、アメリカのナショナリズムの潮流の基盤を作ったといえるだろう。超大国でありながら、今日に至るまでアメリカが投影する「イノセントな大国」というイメージはこの時期に形成されたのではあるまいか。