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あるアー�スト�はじまり�話

Text by: 福本拓哉


「子供��登山家に憧れて、友達と�の実家の近くの山を遊びで登り�じめた�。中学に入る��は岩登りをおぼえて、ザイルなんかの道�を一通り�てまた近くの山に。その��僕�バイブルは、もちろん植村直己の『青春を山に賭けて』。物�感動と刺激を受けたなぁ。それから高�生になって迷わず山岳部へ。半年後には部長になって国��3000メートル級�山を次�制�...」�

 こう書くと驚くかもしれな�、ここで紹介する早川�巳さんは、現在ニューヨークに来て�年目になるアー�ストである。母親がやはり絵を描��、アート�とても身近なも��ったと�。二十歳の時に本気でアー�ストになろうと思い、現役で日大芸術学部に合�。�学後�版画に惹かれた。かつての浮世絵の一枚一枚が、絵師、彫師、摺師と�た�人の�で仕上がって�たよ�、一度にワー�は仕上がらな�画には、版画ならではのプロセスがある。そのひとつひとつが上手く積み重なって始めて目�ゴールに辿り着く。そのプロセスが�よかった。卒業後も家で木版画を続けた。当時のドローイングには今�彼の作風の面影が見える�

In between
Oil, acrylic, resin on canvas
64" x 84"
2000
 彼にとってニューヨークとの出合いは半�偶然�った。「日本の美術を巡る状況�時代性のなさが嫌だった。骨董品みたいな日本画なんかには物�高値が付いてる�に、若�家を紹介する雑誌なんかのメ�アがすごく少な�新しいアートに投�ると��がな�ら、いつまで経っても作品が不動産みたいな扱�かされな�それに日本では、作品を発表しよ�しても貸画廊に何十�払わな��な�それでも展示期間はせいぜい一週間で、結局友達がたくさん来て終わりだったり。作家たちはそれ以外にも制作費�活費も稼がな��なくて、それでもなんとか時間を作って、人生賭けても�を作って�のにね。そ��況があるから、作家として食べて�には日本では�辛いと思った」。そしてある雑誌�中に、School of Visual Artsと�ニューヨークの美術大学の募集���見つけた。 

 はじめは特別ニューヨークでなければ�な��ことはなかった。極端な話、中国とかでも良かった。だからろくに英語なんか勉強しなかった。何よりもこ�学校は、留学の壁でもあるTOEFLなしで受験することができた。ところが、「こっちの授業の�方って、『口で作品を語らねばならな��ね。黙って�ことは許されな�け。でも向こうもやり手で、今までにたくさんの留学生を見てきて海外との教育の違い�葉�問題を知ってるから、クラスで�スカ�ョン�時�まっ先に俺に当てるわけ。『�巳はど�う�』って�笑)。こっちに来てからま�1�2年�ったし、英語での議論に馴染�まではち�と時間がかかった」�